──論語読みの論語知らずに注意せよ──IRとは“説明責任”の語りである──
2025年6月中旬、株主総会ラッシュが間も無くやってくる。多くの上場企業が全社戦略の広報を盛んに行なっている。
IR資料には、どれも立派な言葉が並んでいる。理念、ビジョン、パーパス、サステナビリティ、DEI、人的資本経営──。そのすべてが、今この時代を生きる企業の「姿勢」や「誠意」を語るものだとされている。だが、それらは本当に語られたうちに入るのだろうか?
経営層が口にする綺麗な言葉は、実際の現場の判断や組織文化と乖離していないだろうか。たとえば、人的資本経営をうたう一方で、現場では育成もなく、退職者が続出していないか。ガバナンスを強化すると言いながら、現場の不正やコンプライアンス違反を黙認していないか。
IR資料を読みながら、そんな違和感を抱くことが少なくない。「論語読みの論語知らず」──この古い言葉が、企業のIR資料のあり方を最も端的に表しているのではないかと思える瞬間がある。
IRとは“説明責任の語り”である
そもそもIRは、Inverstor Relationsの略語だ。日本語にそのまま翻訳するなら、投資関係の情報となる。意外に思う人もいるかもしれないが、IRという言葉の定義は多くのビジネス書において、「PR」すなわちPublic Relations・広報という用語と対比的に説明される。IRは「広い意味での広報活動」の一種であり、「株主や投資家に特化した広報」というのが原義なのだ。
IRが広義の広報活動であり、マーケティング・プロモーションの一環である点は、非常に素朴でありながらも、IRの本質・原点に関わる。IR資料を作る取り組みの中には、”会社の数字を羅列すること”も、”会社法の話をすること”も”会社の偉い人のサクセスストーリーを語ること”も、すべて含まれる。しかしそうした雑多な要素が絡み合いながらも、IRの本質は何かと問われれば、株主や投資家を対象とする広報活動である点を忘れてはならない。
IRが重要なのは、企業活動が株主という“資金の提供者”によって支えられているからだ。だからこそ、株主に対して説明する義務がある。その一部は法的義務であり、業界の慣行に支えられており、また企業側の自主的な努力による場合もある。しかしいずれにしても、「仕事における責任とは説明責任であり、語ることである」という思想の延長線上にIRという取り組みが成り立つ。
なぜIR資料はつまらないのか?
しかし現実のIR資料の語りは”伝える力”に乏しく、結果、「むずかしい」「わからない」「どの会社も似たようなことが書いてある」といった印象にとどまってしまうことも多い。経営理念やビジョンは立派でも、それを支えるKPIや施策の記述があまりに凡庸で、理念との接続が途絶えてしまっているケースがまさにそうだ。
IR資料を、生き生きとよく伝わる内容にするには、「数字(ファクト・エビデンス)」「制度(システム)」「物語(カルチャー)」が統合されていなければない。
「論語読みの、論語知らず」という故事成語がある。理論や理屈を学ぶことに熱心でも、そこにある精神を実践する気がない状態だ。IR資料の作成にあたっては、多数のビジネス用語・法律用語・カタカナの横文字がいわば商売道具となるが、はたして語った言葉に中身は伴っているだろうか。
- 「コンプライアンスについて雄弁に語れど、日々の実務では脱法行為を繰り返している」
- 「組織ガバナンスの構成要素を詳細に列挙しても、職場の足並みは揃わない」
- 「経営戦略を図解であらわせど、日々の実務な体力勝負で人海戦術」
これらは具体と抽象の乖離は、広義にはIRの課題のはずだ。しかし具体から遊離した”言葉の一人歩き”は、各社・各企業でIRの課題として、どの程度受け止められているのだろうか。
数字はある、でも物語がない
IR資料には決算数値やKPIが並ぶ。しかし、数字だけでは物語にはならない。
- 遵守すべき法令・ガイドラインがここにある──ならば、目の前の実務を踏まえて、それに違反する行動・遵守する行動の具体例・実例を語れるか?
- 理念や理想を言葉に託した──それをいまこの職場で体現するなら、どんな施策になるのか?
- 図表には数多くの数値データが並ぶ──しかしそれらが意味することを、一言で総括するとどうなるか?
これらの問いに向き合うことは、誰にとっても楽ではないと思う。しかし、それが実感を伴った語りになってはじめて、語りが信頼に変わることも確かではないだろうか。
- 「コンプライアンス語りの、”無法者”」
- 「内部統制語りの、帳尻合わせの”野坊主”」
- 「経営戦略語りの、上層部の意向の”コラージュ職人”」
全体的な視点が失った先で、こんな存在になってはいないだろうか。IRに携わる全ての人々にとって、こうした戒めは他人事ではないと思う。
データ人材・DX人材こそ、事業のストーリーを語れ
IRの語りに、まとまり・一貫性が失われていくことは、役割分担・分業が進んだ現代においては、やむを得ない面もある。すべての実務を掌握する人などいない。最終的な組織の代表取締役CEOは一人であっても、なんでもできる万能な人など、この世に存在しない。
現代の経営環境においては、業務の細分化が進み、スペシャリストの活用が重要性を増しており、また多様性が是とされる傾向は進む一方だ。こうした時代の流れのなかで、IRの空洞化を食い止めることもまた重要性を増している。
こうした”多様化と統合のジレンマ”を抱える構造は、データ人材の活用をめぐる各企業の課題にも、通じるところがある。
データの専門家が、単にツールを操る職人にとどまらず、物語を語りうる立場となることこそ、まさに多くの企業が直面するDXの課題だ。これは、エンジニア・マーケター・アナリストなど、各部署・各チームに散らばったデータ系のスペシャリスト一人一人の意識の問題もある。しかし同時に、縦割りの役割分担の是正も必要だ。
現代のビジネスにおいて、データはストーリーを紡ぐための素材だ。逆にいえば、戦略立案に必要となる材料は、すべてデータの一種といえる。だからこそ、データを扱う人材──データアナリストやエンジニア──が、語り手の一翼を担わなければならない。客観的なファクトから主観に響くストーリーを紡いでいくこと、役割や立場の違いを超えて、多人数で共有できる目標を策定すること、これらはすべて「データ活用」にまつわる課題だ。したがってこの先の社会で、データ人材が一層矜持を持って取り組む必要がある。
各論・個別論点を統合し、まとめあげる視座を失い、具体との接続を失った総論だけが一人歩きしていく傾向は、現代のIR広報も、DX戦略の情勢にも当てはまり、構造はよく似ている。
AIブームの影で、”仕事の責任とは、説明責任のことである”という原点を忘れていないか?
ここに、もう一つの皮肉がある。現代における生成AIのブームだ。今日、生成AIは“なんとなくもっともらしいアウトプット”を大量に生み出してくれるようになった。しかし、無計画にAIの活用を推進し、業務改善・効率化で一定の成果をあげるなかで、「説明責任を果たせる人の不在」というリスクが増大している現場も目につくようになった。
「この仕事は、AIにやらせることができるよね?」──そんなセリフの背後にあるのは、本当にITリテラシーだろうか。それとも実務における説明責任の軽視だろうか。「現状を語る責任」「未来に向かって是正する責任」への無関心・無理解もまた、AI技術の発展とともに幅を利かせるようになってきている。
だからこそ、今こそデータ人材が語らなければならない。IRとは、単なるお化粧ではなく、説明責任という名の物語を紡ぐ場であることを、もう一度社会に思い出させるために。
おわりに──”経営語り”の、”実務知らず”にならないために
本連載「雑踏の羅針盤」では、制度や組織に紛れがちな本質をすくいあげる視点を発信していきたい。
第1回のテーマに“論語読みの論語知らず”を選んだのは、企業やデータ人材の「語りの責任」を問い直すことが、今この時代に最も必要だと思ったからである。
見えすぎるデータと、見えにくくなる語りのあいだで、私たちはどこへ向かうべきか?
その羅針盤は、いつも“語るべきこと”の中にあるはずだ。
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